推薦者・まつかわゆま

 すでに公開されているが、批評的には賛否両論の否の方が優勢で、興行的にも苦戦している様子。だが、私は細野守監督の迷いつつの選択、というか表明を支持したい。
 アカデミック的には作品をあくまでもテクストとして一本ずつを分析し評価すべきであり、作者の背景や時代に引っ張られてはいけないといつも注意される(筆者は万年大学院生としていまだ博士課程に在籍している劣等生である)。が、映画評論家というか映画ライターとしては、今までの作品群に加えて「細田守」という一人の男の人のライフストーリーをふり返りつつ、最新作について考えてしまうのだ。
 そう考えると、今、細田守は第三期の半ばにいると考える。「時をかける少女」「サマーウォーズ」の”青春ファンタジー”期、「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」「未来のミライ」の”親になるってどんなこと?”期、そして「竜とそばかすの姫」の国際的作家めざそう期である。「めざそう期」の二本目が本作だ。国際的、というか欧米を興行の対象としてアニメーションを考えるとき、つまりヒットを狙おうとするとき、それはストーリー的にも映像的にも派手なバトル要素があった方がいいのではないかということになる。のだと思う。キャラクターは無国籍な感じに、主人公は観客として設定されるハイティーンにすることで、おそらく世界共通のハイティーンが持つ悩みや不安を反映できるようにしてある。そして細野守アニメの主人公は「暴力で、ではなく世界を救う」存在にしたい。それは女性主人公でなければいけないだろう。
 この方法は前作では成功した。海外でもヒットし、世界興行的にヒットさせられるアニメーション作家として注目もされた。しかしそこに世界の事情を一変させる出来事が起こってしまう。ウクライナとガザに対する”戦争”である。リアルなこの状況に対して、ヒトとして、親として、細田守は悩んだのだと思う。「暴力で、ではなく世界を救う」ことはできるのか、その可能性を描くためのストーリーとは、キャラクターとは……と。希望や可能性を信じることを、復讐に凝り固まり暴力を肯定するしかないと猛進する娘に教え導くためのキャラクターとはどうあるべきか、それをまずは日本の観客に受け入れられるためにはどうすればいいのか……。その結果が「果てしなきスカーレット」なのだ。
 私が目にした評の中で好意的に細田を援護しているのは毎日新聞の勝田氏だけである。彼のインタビューによれば「コロナ禍からウクライナ、ガザの紛争と、世界の激動を目の当たりにしながらの製作だった」とある。しかり。作家たるものというか、表現者たるもの、そしてヒトであり親であるものとして、大きなコトに対するワタシ的な、生き方的なモノの考え方を作品に反映させてほしい。細田守はそれを果たそうとするヒトなのであった。

配給:東宝、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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