推薦人:まつかわゆま

ノーラ(レナーテ・レインスヴェ)とアグネス(インガ・イブスドッテル・リレオース)

カンヌ映画祭でグランプリ受賞。パルムの声も高かった

25年のカンヌ映画祭でグランプリを獲得したデンマーク人ヨアキム・トリアー監督作品(ノルウェイの作品だが)。プレスの評判も大変よく、ジャファール・パナヒ監督がカンヌ入りしていなければパルム・ドールを受賞してもおかしくなかったと思う。とてもよく書き込まれた脚本を、上手い俳優がナチュラルに、かつ十分に演劇的に映画的に味付けをして演じている。セリフがないところのふとした表情の雄弁なこと! 役者、いや映画俳優冥利に尽きる! というのも、登場人物は映画監督の父、舞台(テレビや映画にも出るが)女優の長女、昔子役として父の映画に出ていた妹に、ハリウッドの若手女優という面々。演ずる4人の俳優は全員今年のアカデミー賞にノミネートされている。舞台はオスロ。築100年はたつ家も主人公の”ひとり”である。


この家に住んでいた姉妹の母が亡くなる。おそらく認知症で闘病の結果の死。分析医だったが、本人が心の病も抱えていたらしい。その原因は娘たちがまだ小さいころに家を出た父にあるらしい。姉のノーラは女優として活躍しているが初日になると舞台恐怖症を起こすことがある。妹のインガは子役をやめ夫と息子と穏やかに暮らしている。実家で営まれた母の葬式の最中に、70歳になった父グスタヴが現れる。高名な監督だがもう15年新作映画を撮っていない。この家は父の生まれた家で姉妹の曽祖父の時代のものであることが語られる。ここまでをテンポよく語るのは”家”と映像。父の登場で”舞台(ものがたり)”の幕が開く。

放蕩親父を拒絶する長女。なぜ二人は反目するのか

放蕩息子の帰還と同じく、放蕩親父の帰還も旋風をまきおこすのはドラマツルギーのお約束。父はいないものとして築いてきたモノがいきなり壊される。いままでの苦労を無にされる。姉ノーラは激しく父を拒否する。


前述したように『センチメンタル・バリュー』の語り手は"家"である。それは12歳のノラが作文で家を語り手として家族のことを書いたからなのだが、語り手はノラの経験を超えて、家自身、つまり父の一族の歴史を語り始める。ノラ姉妹と父には確執があるのだが、その根っこは父の家族史、母との関係にある。父も忘れようとしてきたその根っこを家は記憶している。70歳を迎え10数年ぶりの新作、自身最期の作品になるかもと感じつつ書いた脚本で、父グスタフは母の物語を、この家で、長女ノラをヒロインにして映画化しようと試みる。
グスタフとノラは表現することを仕事として選んだ。妹アグネスはそれを捨てた。表現者として生きることは孤独な作業を引き受けることだ。それはしばしば周囲の者を苦しませることになる。グスタフのように。ノラはグスタフの犠牲になったと思っているが、ノラもまた周囲の人と親密な関係を結ぶことが出来ない。それが芸術家という生き物なのだとグスタフは開き直っているというか、今も気づいていない。ノラはそれが許せない。グスタフは姉妹の気持ちに今も無頓着である。ノラに断られたヒロインを、ハリウッドの人気女優レイチェルに依頼し、準備を始める。企画はスポンサーを獲得し、撮影場所である"家"で本読みが始まる……。

レイチェル役はエル・ファニング

家は記憶の装置である

ではなぜグスタフがそういう人間になったのか、家は明かす。戦争中、のちにグスタフの母になる娘はノルウェイを占領したナチスに対するレジスタンスに参加し、とらえられ、拷問を受け、収容所に送られた。戦後帰還して結婚しグスタフを産むが、平穏で幸せに見えた生活も彼女を癒やすことは出来ず、母はこの家で突然自死してしまう。アグネスはその祖母の記録を調べ、戦争中の彼女の経験の過酷さ人生への傷の大きさを知り、グスタフの埋められない空虚を知り、グスタフを許そうとし、ノラとの仲を回復させたいと思う。
家を主”人”公にした大きな理由はここにある。人にはそれぞれの歴史がある。役を演ずるとき「型」を踏襲するのが歌舞伎やシェイクスピアといった伝統演劇の方法だとしたら、それに対する”新”劇では役の人物の歴史をしり、その結果としてこういう人物になり、ならばこういう行動をするだろうと想像して役を作っていく。北欧の演劇はその”新”劇の老舗である。自分の両親くらいまではその歴史(社会とのかかわりもふくめて)を知ることは可能だが、その親になるとその歴史を知ることは難しい。しかし「家」はそれを舞台として見ていた証人なのである。何世代にもわたるこの一家の記憶装置、なのだ。
グスタフか子ども時代のアグネスを使って撮った映画、おそらく彼の代表作の一本はナチス占領中の物語であった。グスタフは戦後生まれだが、彼の人生には母の戦中の経験とそれによる母の消すことのできない苦しみと自死という記憶が刻み込まれている。そこから逃げようとグスタフは家を出て、しかしまたそこで暮らし家庭をもち、そしてまた逃げたのである。しかし死というものを身近に感ずる年頃になり、グスタフはまたこの家に、記憶のもとに、戻ってきた。ノーラとアグネスはその父と、父のいない間の自分たちの記憶とこれからの未来とどう向き合っていくのか。それを描くのが『センチメンタル・バリュー』である。過去、つまり記憶への感情、その価値を問う、といった意味のタイトルなのかな、と今、あらためて、思う。読み応えのある映画であった。

2026年 2 月 20 日(金) TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

配給: GAGA

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グスタフ役のステラン・スカルスガルドはゴールデン・グローブ賞で助演男優賞を受賞。アカデミー賞でもトップランナーに