
推薦者・森田健司
昨年公開された映画のヒット作は興行収入200億円を記録した「国宝」。現代の歌舞伎の世界を舞台にしている。
一方、この「木挽町のあだ討ち」は江戸時代後期が舞台。歌舞伎小屋の人間模様から、仇討ちのミステリーを解く手法だ。筆者は時代劇が好きなので、こちらのほうが味わい深い。というか、しっくりくる。
文化7(1810)年1月、江戸・木挽町。芝居小屋の森田座では「仮名手本忠臣蔵」の千穐楽を迎えていた。 その夜、舞台がはねた直後、小屋のすぐ近くで仇討ちが起きた。芝居の客たちが見守る中、美濃遠山藩士の伊納菊之助(長尾謙杜)が、父を殺害した男・作兵衛(北村一輝)を見事討ちとり、首級をあげた。このことは「木挽町の仇討ち」として語り草となった。
1年半後、同じ遠山藩で菊之助の縁者を名乗る加瀬総一郎(柄本佑)が森田座を訪れる。この仇討ちには腑に落ちぬ点があり、謎を解明したいのだという。 心優しい菊之助が大男の作兵衛をどうやって討ち果たしたのか。菊之助はなぜ森田座に身を寄せたのか。加瀬は木戸芸者の一八(瀬戸康史)や立師の相良与三郎(滝藤賢一)、元・ 女形の衣裳方、芳澤ほたる(高橋和也)らに事情を聞く。このほか小道具方の久蔵(正名僕蔵)やその妻・お与根(イモトアヤコ) などにあたり、上方に出張中の戯作者・篠田金治(渡辺謙)の帰りを待つ。
話を聞けば聞くほど、腑に落ちない。何か隠されている気がする。やがて金治が帰還し、ついに事件の日に起きた驚くべき真相が明かされる。そこには芝居町らしい仕かけと粋な人情が秘められていた……。
敵役の北村一輝はさすがの名演。渡辺謙は「国宝」と本作に二股出演した格好だ。
仇討ちものの映画は数多く作られてきた。「大忠臣蔵」(1957年)、「曽我兄弟 富士の夜襲」(56年)、「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」(52年)など数え上げたらきりがない。ただ、本作のように、すでに成就した仇討ちの真相を第三者が調査する物語は珍しい。知り合いの映画記者も「見たことがない」と言っていた。
あえて言うなら、文学作品の「綾尾内記覚書」。作家・滝口康彦が第15回オール新人杯(1959年)を受賞した傑作だ。素懐を遂げた仇討ちの真相を暗く、シリアスなタッチで暴いていく。
これに対して「木挽町のあだ討ち」は狂言回しの加瀬が始終空腹で腹をグーッと鳴らすなど、コミカルな演出で観客を謎解きに引き込んでいく。
永井紗耶子による原作小説は「藪の中」(芥川龍之介)のように登場人物の証言を重ね、彼らの不幸な身の上を重ね合わせて江戸時代の酷薄さを表現しているが、映画は余計な前置きをカット。そのため心に染みる出来栄えとなった。
冒頭からひきつけられる。女形のように真紅の着物をまとった菊之助が一瞬にして白装束に姿を変え、降り積もる雪にまみれて作兵衛と斬り合う。白装束と雪に鮮血が吹きこぼれる。その色彩的なコントラストは見事。
加えて菊之助役の長尾謙杜が美しい。少年か、はたまた少女か。筆者は少年愛とは無縁だが、スクリーンの長尾のあでやかさには嘆息させられた。女性の観客は一様に心を奪われるだろう。
近年、時代小説と時代劇映画には江戸の庶民を生き生きと描く作品が多い。身分制度の厳しさから視点を遠ざけ、庶民が助け合い怒鳴り合いながら飄々と生きる物語のほうが鑑賞者に受けるからだそうだ。
その理屈でいえば、庶民の日常はユートピア(理想郷)で、武士道は不条理だらけのディストピア(暗黒郷)。本作は武士のディストピアが江戸にたどり着き、芳醇な人情譚に生まれ変わったことになる。だから観客の胸に刺さるのだ。
2月27日(金)全国公開
配給:東映


