
推薦者・田中千世子
北ドイツのある館を舞台にした4つの時代の物語
少女と姉妹と母と祖母、曾祖母、それから女の使用人たちがいて、父や祖父、男兄弟に男の使用人たちも暮らす北ドイツの小地主(あるいは大規模自作農)階級の館を舞台に展開する4つの時代の物語である。だが、年代記ものと違って、すこぶる前衛芸術。少女たちの幻影を追い求めたふしぎな映像詩のようだ。最初に登場するエリカは、松葉づえをついて歩く。それはベッドに寝たきりの片足を切断された伯父の真似なのだが、そのすぐ後登場するアルマとその姉妹たちのなかにエリカはいない。エリカを呼ぶ男の声、「エリカ、早く豚を小屋に入れろ」。たぶん、それはエリカの父。農場の仕事をするのは使用人ではなくエリカたち家族だ。彼女の服は1910年代の美少女アルマたちより現代に近い。
ふたつにわけた金髪の三つ編みを耳のところにまるめたアルマは、死者たちを回顧する法事のために皆と同じ黒のドレスを着る。法事の後は長いテーブルを囲んでの食事。そこに片足の松葉づえの青年が加わる。アルマはこの青年(たぶん兄)が脚を切られた時のことを思い出す。母と父がいやがる青年を納屋に閉じ込めたのだった。兵役逃れのための策だったのだろう。時間が時々入れ替わる。部屋の外から映し出された穏やかな人々の光景は額縁に入った家族の肖像画のようだ。
母の瞬きの回数が愛情のしるし、とアルマが語る。いつの時代も少女たち(時に少年もいる)がひとりごとのように家族のことを語っていく。東ドイツ時代の1980年頃、アンゲリカは庭で行われた自転車に乗ったままの桶のウナギつかみのイベントに挑戦する。叔父のウーヴェが2度目に成功し、母のイルムが皆にはやされて失敗した後だ。母はめったに笑わないとアンゲリカが語る。その母の少女時代に姉が片足の伯父に執着したとアンゲリカ。とするとイルムはエリカの妹で、この農場を継いだのだろう。スマホが登場する現代はネリーと姉のレンカが両親と共にベルリンからやってきて夏を過ごす。川で泳ぐネリーは自分がおぼれて母が狂乱する光景を思い描く。アンゲリカも収穫の手伝いをしながら死んだ鹿のそばにうずくまり大型トラクターにひき殺される幻影をみる。それは機関銃を撃たなかった少女たちの「快感!」なのだろうか。アルマは死の幻影を見ないが、死者たちの回顧の日に飾られた写真の死んだ少女のようにソファーにもたれて死者の真似をするのだった。
長編テレビシリーズ『ハイマート』との重なり
4つの時代の少女たちが何度も入れ替わり立ち現れるので、館と広間と納屋と大きな庭、そして麦畑と村道と近くの川が彼女たちの<ハイマート>なのだなと気づいた瞬間、大長編のテレビシリーズ『ハイマート』(エドガー・ライツ監督)が忽然と立ち現れた。東西ドイツ時代の1984年に劇場公開されたのをきっかけにベルリン国際映画祭で上映されたのを見た記憶がある。当時の西ドイツでは大変評判になったテレビシリーズで、ミュンヘンの若手監督がさかんにエドガー・ライツ監督のことを称賛していた。このシリーズはその後も続編が作られて最終的に59時間32分になる。最初の第一部だけでも14時間だ。映画祭で私はたぶん全部は見なかったと思う。主人公のひとりが戦争(第一次世界大戦)から帰って父の鍛冶しごとを手伝う最初のエピソードをユーチューブで見ることができた。白黒映像主体でところどころがカラーになる。人間関係もベタつかずに描かれており、映画としての格を備えた作品だ。当時はもてはやされる一方で洗練されたソープオペラだとの辛口批評もあり、ライツ監督は自分としてはディケンズやプルーストのような作品を目指したとコメントする。
『落下音』が『ハイマート』の影響を受けたとは言わないが、ヒロインを軸に男たちを活躍させる『ハイマート』に対してほくそ笑みながら本作が屹立していることを面白く思う。
4 月 3 日(金)新宿ピカデリー ほか全国ロードショー
配給:NOROSHI ギャガ
©︎ Fabian Gamper - Studio Zentral

