推薦者・森田健司
「爺(じじい)のしょんべん」という言葉がある。オシッコの切れが悪くダラダラと時間をかけて流れることだ。
実は本稿も爺のしょんべんだった。畏友のTさんから「時代小説家の視点で『黒牢城』の批評を書け」と要請され、新宿ピカデリーで作品を鑑賞したのが6月25日。米澤穂信の原作本(税別960円)を買って帰り、読んでから原稿を書こうと思ったのだが、この原作が分厚い。512ページもあるのだ。
読書が苦手な筆者にとっては爺のしょんべんみたいに長たらしい。そのため読了が7月12日になってしまい、いま慌てて本稿を書いている。
それはともかく映画「黒牢城」である。以下、作品のHPのストーリー紹介を引用。
荒木村重(本木雅弘)は暴虐な織田信長のやり方に反発し、籠城作戦を決行する。城は織田軍に囲まれ孤立無援に。城内の血気盛んな家臣たちを抑えながら、村重は妻・千代保(吉高由里子)を心の支えに、城と人々を守ろうと苦心していた。
そんな時、城内である少年が殺される事件が発生。その後も怪事件が次々と起こる。容疑者は、密室と化した城内に居る家臣や身内の誰か。城外は敵軍。城内は裏切り者。誰もが疑心暗鬼になっていく中、村重は牢屋に囚われた危険な天才軍師・黒田官兵衛(菅田将暉)と共に謎の解決に挑む。事件の驚きの真相とは―。様々な登場人物たちの思惑が飛び交う、手に汗握る戦国系心理ミステリー超大作が誕生!
舞台は天正6(1578)年に始まった荒木村重による有岡城の籠城戦。そこで自念という少年が殺され、さらに討ち取った敵将の首がすり替えられるなどの事件が続く。「犯人は誰だ」という村重の疑問にそって謎解きが展開するのだ。
最初は探偵小説の密室トリック譚めいているが、終盤で社会性を帯びてくる。大げさに言うと、江戸川乱歩のトリック性が松本清張の社会派ミステリーに変転するわけだ。
荒木村重を主人公に据えたドラマは珍しい。筆者は初めて見た。村重がなぜ信長に逆らったかは諸説あり、ここで語る余裕はないが、劇中でも触れているように、彼は腹心の中川清秀に裏切られた。
「信長さまはどんな弁明も聞きますまい。安土城に行ったら、必ず殺されます」
中川はこう言って村重に信長との面談を思いとどまらせた。ところがその中川がおのれ可愛さのあまり、信長に寝返った。
そのあげく村重の妻子26人と家臣団の妻子ら600人以上が信長によって処刑された。「戦国最悪の惨劇」と呼ばれる事件だ。
本作の特徴は「信長は殺し過ぎる。村重は殺さない」という、両雄の残虐性の対比にある。まるでヒトラーのように人を殺しまくった信長。とりわけ人質への処置は凄惨を極め、浅井長政の嫡男などは焼け火箸で串刺しにされたともいわれる。
一方、村重は人質の命を奪わなかった。解放したのだ。このように映画は村重を一種の平和主義者として描いている。
歴史ファンの戦国人気投票で信長はトップに選ばれることが多い。「信長は日本のヒトラー」と確信する筆者はこの愚かな結果に違和感を覚えていたが、本作はいみじくも同じ主張をしてくれたわけだ。
そうした流れで注目なのは終盤で千代保が語る「進めば極楽、退かば地獄」へのアンチテーゼだ。千代保はこの言葉を「なんたる愚かな方便よ」と批判する。
そこから思い浮かべたのが戦国武将が戦の最中、自軍の兵士に呼びかけた「死ねや死ねや」という言葉だ。「死ぬまで戦え」と権力者はエゴイズムをむき出しにする。
「進めば地獄、退かば地獄」は何を意味するのか。かつての戦争で「お国のため天皇陛下のために喜んで死ね」と、死を美化した宗教的集団ヒステリーではないだろうか。安倍晋三風にいえば「悠久の大義」である。
黒沢清監督は2020年の「スパイの妻〈劇場版〉」で、戦争を疑問視する市民を憲兵隊が過酷に拷問する歴史的事実を描いた。同様に、この「黒牢城」は題材を戦国時代にとった歴史批判とも考えられるのだ。それゆえ本作を社会派ミステリーと解釈したしだいである。
本作を軍国主義復活の高市早苗に見てもらいたい。まあ、見ても理解できないだろうけどね。

