
推薦者:遠藤京子
忙しく働く看護師は母親に共感するが…
ここに書かれているのは“美談”ではない。
主人公は小児科病棟で忙しく働く看護婦ルシー(レア・ドリュッケール)。栄養失調で骨折したアダムに食事を摂らせるのに苦労している。というのも母親のレベッカ(『あのこと』主演のアナマリア・ヴァルトロメイ)が偏った食事しか摂らせないうえ、自分が与える食べ物以外は毒だと子どもを洗脳しているからだ。行政もすでに介入していて本来レベッカは面会も許されないはずなのだが、ルシーはレベッカが病院食を捨てさえしても頑なにレベッカを守ろうとする。
ルシーは善人ではない。アフリカ系の少年ジェレミーには、怪我して寝ているのに「ママに通訳しないの?」と休ませてやらず、さらに「治療を待っている子がいるしここはホテルじゃないのよ」と早く退院しろと責めたてる。
じつはルシーもレベッカと同じシングルマザーで、ルシーは自分に重ねてレベッカを見ているのだ。実際、ルシーは母親の立場でしか物事を見られない人だ。忙しく立ち働く合間にも娘から返信がないかとひっきりなしにスマホをチェックしていて、子どもへの執着という点でレベッカはルシーと共通している。それに社会的に立場が弱いのも共通している。ルシーは医療現場で休みなく働かされながら、現場の決定権は持っていない。レベッカは若いうちに子どもを産んで離婚していて教育も受けていず生活は貧しく、アダムは人生のすべてだ。不健全な状況でアダムに執着しすぎたから毒親になってしまった。
善意よりエゴから感動が生まれる
原題は『L'Intérêt d'Adam』、英題は『Adam's Sake』だ。すべてアダムのために、ということになる。これを母性愛というなら相当エゴイスティックな愛だ。アダムに罪があるとしたら、彼女のもとに生まれたということだけ。人として生まれたこと自体を罪とする「原罪」という言葉を使った邦題は、かなり内容に迫ったものだと思う。レベッカはさらなるトラブルを引き起こし、ついに温厚なセンター長がレベッカを庇いつづけるルシーを叱責する。そんな事態になってもまだルシーはレベッカにこだわって命令を無視してしまう。
ルシーの行動もエゴから起こっているが、それは「どうしてもこの人を助けたい」というエゴだ。善意ではないから衝動的に動いてしまうのだが、その衝動にこそパワーが生まれる。不完全なルシーが不完全さから共鳴して、どうにかレベッカを助けようとする。そこに私たちは美しさを見出す。レベッカがやっとルシーの助けを受け入れるとき、こんなに悲惨な物語の中に希望が見出される。ルシーが善人ではなく不完全で衝動的だから、似たように不完全なレベッカを助けるとき、感動が生まれるのだ。

『アダムの原罪』は6月5日(金) 新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開


